空洞
卒業時に疎遠になった友人から連絡がきた。
私は留年したことを引け目に感じ、大学の友達とは言葉も交わさず、ひっそりと自室にこもりながら、友人たちの卒業を見送った。
そんな友人の一人から、フェイスブックを通じて3年ぶりに連絡がきた。
結婚報告に私がいいねをしたのがきっかけだ。
学生時代のインターン先で副社長とつきあうことになった友人は、その彼と結婚を決めた。渋谷の中小IT企業に内定をもらい就職していたが、いつのまにか大手IT企業に転職していた。
飾り気なく、自分の好きなものにとても素直で、好奇心旺盛で、きさくで、ちょっとオタクでサブカルで、行動力のある、そんな友人だ。そして、多くの有名な人と繋がりをもっている。そうした世界に身を置いている。
私が彼女と自分を比べてわが身を嘆くのは自意識過剰なのだろう。そうした繋がりをあえて卑屈に意識することで、こんなしがない自分でもこんな素晴らしい人と繋がっているのだよ、と卑近なプライドを満足させている。そしてそうした卑しい、卑小な自分を自分から隠すために、この喜びを劣等感でもって塗り重ねているのだ。
他人との繋がりという繋がりを、自分を相手に見せびらかし、相手を使って自分を飾り、自分のために利用する。一人きりの舞台で一人相撲をとっている。
一人の舞台から抜け出た時、私は自分の空っぽな精神と心に気付くだろう。他人で自分を固めて、それを他人に見せびらかし、なんとか形を保っていると思っていたことに気付くだろう。24年間、幼少期から思春期、青年期と自分を満たし作り上げてゆくはずの時をからっぽのまま走ってきてしまったことに真っ向から向き合わねばならなくなる。