母について

母をかわいそうだと思う。人としてはあんまり好きじゃないし、親としても好きではないんだけど。

 

プライド高くて人と仲良くなれないところとか、素直に謝ったら負けだと思っているところとか、自分の失敗を認められずなんでもひとのせいにしてしまうところとか、一方で人に対してすごく気を使って自分の気持ちを抑圧してしまうところとか(で、あとで爆発するんだけど)、誰に対しても過剰なほどに面倒を見てしまうところとか、要は自分に自信がない。

 

もちろん仕事をずっと続ける根性とか、生活の仕方とか、スキルはとても尊敬してる。マメだし。私はよく、母の小言を聞くと、それはあなたの自己満足なこだわりにすぎないじゃないか、と心の中で反論するのだけど、母がいなければ当然の家庭生活を送る術を知らずに育ってしまったことだろう。例えば水回りの綺麗な使い方とか、人のうちにお邪魔するときの気の使い方とか当たり前のことから、洗濯の綺麗なたたみ方、食器の扱い方、などなど。

 

それは無いのは結構やっかいで、っていっても無くても平気で生きている人たちを知っているから無いよかはある方がいいレベルなのかもしれないけど、世の中にいる母のように細かいことを気にする人たちと面倒を起こさず付き合うには必須だ。これは以外と大切なスキルだぞ、と大きくなってから気づいた。

 

家族にはちょっと疎まれている母で、最近ではいきすぎた横暴にたいして家族が反論するようになってから、自分はいないほうがいいのではないか、というようになった。

といっても、真剣にそう病んでいるわけではなく、激昂ついでに自虐型の攻撃をしているのだ。消えたいなどと言われるとやはり家族だから少し悲しい気持ちになるのだけど、よく考えてみれば本当にそう考えている人間は他人には言わないだろう。結局、自分のやってきたことが評価されない、むしろ良くない結果をもたらしたことに対して、怒りをいつものごとく周りにぶつけているだけなのだ。

ありがちなことではあるが、「他者のため」は本当は「自分が必要とされたい、感謝されたい、ってか感謝しろよ」なのだ。気づいてないからやっかい。

 

と、不満は多々あれど、私はいい歳してそうした母に口答えできない。諭すことも、自分の気持ちを伝えることもできない。怖いのだ。正論でも屁理屈でもヒステリーでも、母に反論されるのはこわい。

まったく情けない話だ。

 

いつまでもこうした相反する感情を抑圧しながら生きて行くのかな、と思うと嫌になる。

尊敬もしているし、それぞれ出不精な父、弟、私だけでは静かな家庭を賑やかにしているのはそれでも明るい母なのだ。性格が、とかではなく、なんとなく雰囲気というのか、気というのか・・・なんとなく陽の気がある感じ。私が今まで会ったことのある母のような女性は大体面倒臭いけど明るかった。

 

かわいそうとでも思わなければ、自分の、母に対する情とか、怒りとか憎しみとか、そうしたごちゃごちゃした大きくて訳のわからない感情が落ち着かない。

本当は楽しく生きたいだろうに、自分は家族のためにとやっていることが疎まれ、「消えたい」というヒステリックな主張でしか本音を晒せない母がかわいそうだ。

子供の頃から中間子で寂しかったのだろう、気が強く育たざるを得ず、しかし根は自信がなく、素直になれず、もう50も過ぎた。

ヒステリー時の言葉だから話半分に聞くものとはいえ、「私の人生何もいいことなかった」という言葉が頭からはなれない。母は私に、人間やれないことなんてなにもない、悪いことよりいいことを見ないといけないと語るが、そう信じなければやっていられないような人生だったのだろうか。

 

神経質で気が弱いのに他人に甘えることができない不器用な母。他人の悪口や偏見ばかり言って、いつもまわりを気にしている。

こう書いてみると私は母にそっくりで、同族嫌悪は強いとわかる。わかるからそこの憐憫もある。私、かわいそう、と自己憐憫。

 

ただ、憐憫なんてのもきっと自己満もしくは高慢なことなんだろう。人の幸不幸は他人が決めることじゃない。あのひとは自分を不幸というし、不幸だと思うことは最大の不幸のような気がするけど、そんなことは自分で解決するものなんだから、私がどうこうするべきものではないし、そんな立派な権利はない。当然だ。

 

かわいそう、と思いつつそんなことを思うのは高慢だ!という自己撞着をぐるぐると書きました。本当はこれを書きたかったわけではない(でも何を書きたかったのかはわからない)けど、とりあえず良し。

もっと書きたいことがあるけど、なんだか整理がつかなくなったので、ここまで。