無題
事務をして、お金をもらっています。
お金を払ってくれるのは「弁護士」という職業の人達で、その人たちのやることをサポートする女性3人、「弁護士」3人の、小さな職場です。
私はあまり政治の信条がないのに、多分世の中では 左 と言われるような環境で過ごしています。(左、とは反体制派であると先日知りました。これまで、急進派のことだと思っていました)
「仕事」は、下手です。今の「時代」を考えると、それにそぐわないことや、取り残されているようなことを考えたり、実行したりしないといけないので、いつも全部投げ出したくなっています。
この世の学校だと思って、意味の分からない実務はドリルだと思って、「事務」の経験を積んでいます。
こうやって業務時間中に朝からコーヒー飲んでおやつ食べて読書して、ついでにブログも書ける時間が時たまあったりします。(いいことですね、ラッキー?)
空洞
卒業時に疎遠になった友人から連絡がきた。
私は留年したことを引け目に感じ、大学の友達とは言葉も交わさず、ひっそりと自室にこもりながら、友人たちの卒業を見送った。
そんな友人の一人から、フェイスブックを通じて3年ぶりに連絡がきた。
結婚報告に私がいいねをしたのがきっかけだ。
学生時代のインターン先で副社長とつきあうことになった友人は、その彼と結婚を決めた。渋谷の中小IT企業に内定をもらい就職していたが、いつのまにか大手IT企業に転職していた。
飾り気なく、自分の好きなものにとても素直で、好奇心旺盛で、きさくで、ちょっとオタクでサブカルで、行動力のある、そんな友人だ。そして、多くの有名な人と繋がりをもっている。そうした世界に身を置いている。
私が彼女と自分を比べてわが身を嘆くのは自意識過剰なのだろう。そうした繋がりをあえて卑屈に意識することで、こんなしがない自分でもこんな素晴らしい人と繋がっているのだよ、と卑近なプライドを満足させている。そしてそうした卑しい、卑小な自分を自分から隠すために、この喜びを劣等感でもって塗り重ねているのだ。
他人との繋がりという繋がりを、自分を相手に見せびらかし、相手を使って自分を飾り、自分のために利用する。一人きりの舞台で一人相撲をとっている。
一人の舞台から抜け出た時、私は自分の空っぽな精神と心に気付くだろう。他人で自分を固めて、それを他人に見せびらかし、なんとか形を保っていると思っていたことに気付くだろう。24年間、幼少期から思春期、青年期と自分を満たし作り上げてゆくはずの時をからっぽのまま走ってきてしまったことに真っ向から向き合わねばならなくなる。
今おもうこと
私はいつも、自分のすること、考えることをダメだと思ってる。
鬱子のその後
その後。また留年しました。
笑えません。
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死ぬかもしれない。と思って書こうとしたけど、本当に死にたい時は、もうそんなのどうでもいいのだ!
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死ぬかもしれない。と思って書こうとしたけど、本当に死にたい時は、もうそんなのどうでもいいのだ!
ネガティヴ日記
明日の学校に行きたくない。行きたくない。
行きたくない、やりたくないことだらけ。
未来でも、毎日こうしてやたくないことやって
行きたくないのに毎朝起きるのかと思うと何もしたくなくなる。
じゃあなにがしたいか。眠っていたい。なにも、したくない。