子宮の神様 続き

続きがあって、私は痴漢に遭ったことがない。

満員電車に乗る機会が少なかった(大体ラッシュ以外の下り電車に乗っていた)

から、というのもあるけれど、それでも遭う人は遭うよね。

露出狂もなければ、襲われそうになったり、なんだり、もないです。

 

犯罪に関わる仕事をしていて思うのは、被害に遭う人は、遭わない人から見るとそれなりの理由があるのではないか、ということ。人を信用しすぎてる。

先日、セクハラへの対処を学んだ女性の話をネットで読んだ。

セクハラされたら、空気が悪くなるくらい機嫌を悪くする、一切反応しない、など、自分のNG領域を普段から周囲に見せていくことらしい。

 

私、物ごころついた頃から自然にこれをやっている。

嫌なことを言われたら露骨に機嫌を悪くする。わがままだから、気にしない。

大人になってもう少し柔和な態度を心がけるようにしたけど、やはり伝わるのか、舐められることはない(残念である)。

理由はわからないけどなぜかできる/できないことってみんなあると思うけど、私にとってはこれがそうなんだろう。

 

突然のトンデモ話だが、私は金星が魚、火星がかに座で海王星オポ・木星スクエア、蠍の月、でカイトという、良くない男に振り回されそうなネイタル、場合によってはいいように男に舐められそうな配置だが、幸い、男からの肉体的な暴力は受けたことない。

 

子宮の神様のおかげ、と私は思っているのです。

 

 

子宮の神様

私の子宮には神様がいる。

 

生理の話ばかりで申し訳ないのだけど、また生理の話。

大学のころ、24歳上の既婚者を好きになって、(童貞が人妻を好きになるくらいの話です)おはずかしながら大層セックスがしたかった。

めったに会わない、数カ月に一遍会うくらいだったのだけど、毎回旅行だのなんだので寝た。

でもセックスはしなかった。毎回生理だったから。

その関係はだいぶ間を空けながら4年ぐらい続いたけど、その度に生理が来る。

3年目くらいに、多分これはセックスしてはいけない相手なんだろうと考えるようになりました。

 

彼氏の場合、生理はなぜかタイミングよくバッティングしない。

 

 

驚き

ところで、とても大きな生理の血が出たんです。

いかにも胎盤のかたまり、とでもいうような。

その大きさに驚き、また、トイレットペーパーでたまたまそれを直に取っていたので、瞬間、思わず舐めました。

その温かさ、絶妙な温度といい、今まで感じたことの無いような母性というのか、やさしさを感じて、とっても驚きました。この身体の中にはこんなにも温かで優しいものがあるのか、と。これで私はできているのか・・・と、筆舌に尽くしがたい体験は初めてでした。

いや、本当に、母性ってこれだ・・・と実感します。あれに入ってる赤ちゃんうらやましい。

 

人間を

先日、汚れたショーツを、クロッチ部分をひっくり返したまま洗濯籠に入れておいたので、それを見た母にたいそうこっぴどく叱られた。(私は26歳である)

私はおりものが多いので、大体いつもショーツは汚れてしまう。

今日の生理もそうなのだけど、身体はこんなにも水だの血だの、液体を流しながら存在し続ける。常に体中にある穴という穴(毛穴に目、口に膣、、、)から液体を流すし、膨らんだりへこんだりしながら空気を出し入れして、存在するこの身体なのに。

うるせー、何が制汗剤じゃ、脱毛じゃ。匂いがするのが、私の身体だ。液体含めて私の身体だ。生えてる毛の、開いてる毛穴の、全部が私の肉体で、生理なのだ。

 

 

そう、結局私は悪くない。といいたいだけなの。

耐えて、動いて、背負っていくのよ。

みなさまこんにちは。関東平野の空は雲に覆われ、空から降ってくる雨水でどこもかしこもしとどに濡れた、梅雨の日です。

2日前から私の体にも、血が流れ出るあの洪水がきております。

 

さて、今日、上司の車に乗り、お昼にとんかつを食べに行ったのですが、私の体から流れ落ちる血液が、ナプキンを染み出し助手席のシートにまでうっすらとついてしまったのです。

車を降りようとして、シートについた赤茶色のそれを見た瞬間、青ざめました。

しかし、瞬間、「バレないかもしれない」という考えが頭をよぎったのです・・・部下として、人間として、すべき行動、あるべき姿が何度もちらつきましたが、私は結局それを見なかったことにして、仕事に戻りました。(その後、「生理 汚れ 仕事」で何度かググるのです)

土曜日だったので、1時間ほど仕事をして、2時ごろ帰宅していった上司が、車に乗り道路に走り出すまでを、相談室の窓からのぞいて見ていました。(駐車場はすぐ隣りなのです)

その人を、子供じみた恋心で慕う私の、水の氾濫ということにした、日記です。

 

 

 

無題 3

書き出すと、もっと書きたくなる。

何を書くかはわからない。私自身にむけて書いているので、書かなくても知っているでしょ、というようなことは書き出さないらしい。

でも何か書きたい。

「事務」には最初から何も期待していないので、苦痛な作業に他ならないけど、「労働」にはまだ飽きていないようなので、多分まだ続きます。

(肉体に限界がきているので、早く違うことに目を向けて頂けませんか)

いわゆる「M」なので、拘束してくれる何かに身も心も縛り付けられているのが楽しいのではないですかね。さらにいわゆる「社会的地位」のある「職業」にひっつくのもうきうきするのでしょう。

そろそろやめてください、と地球のわたしが言っています。

むだい その2

「業務」で朝に些細ないらだちがあって、今日は私1人で1日過ごす「いい日」の予定だったのに、今は冷え冷えとした気分。

こういう時、人がいるとその人との時間を維持するのに必死になって、私の心に生まれた空洞や攻撃心や氷の塊を1日の終わりまで押さえつけておくことになるのだけど、幸い今日は誰もいない時間を過ごしている。

それをあたためてやるために、コーヒー飲んで、おやつ食べて、文章を書くことになった。何を書くにせよ、「文章を書く」行為にはわくわくするようだ。

多分、そらまめの皮むきとかと同じ。