ちょっと発達の遅い子供だった昔の話

私は小さい頃からなんとなく周りとズレていた。
行動がすごく幼かった。指しゃぶりも保育園の周りの子の中で一番治るのが遅かった。
年中さんのとき、お昼寝の後みんなの前で園長先生に、⚪︎⚪︎さんとピヨさんはまだ指をしゃぶっている、と晒されたのを思い出す。昔、園長が苦手だったけど、やっぱり今考えてもこれはあり得ない。

他にも、近所のお泊まり保育で帰り道に下痢してみたり、変な帽子のかぶり方をしてみたり。
そういう、何というか、自分を社会に合わせてコントロールするということが所々できなかった。
子供でも、普通はできるのだ。子供は案外色んなことに気づいてる。
そして、そうした小さな時からの社会経験を通じて、少しづつ自分のイメージが出来上がってゆくのだと思う。

あの年齢で少しおかしかった子、馴染めなかった子というのは、やっぱり大きくなってからも社会とのズレのある人になっていったと感じる。
いじめられたり、自分の中に大きな問題を抱えていたり。
保育園は、いる子もかなり雑多で家庭環境も色々だ。大体みんな中学まで一緒だったのだけど、小学校でいじめ問題になった子、中学でいじめ問題になった子、どちらも私と同じ保育園出身の、成長の少し遅い男の子だった。保育園では、その二人と、もう一人のいじめられたりMTFになったりした子と、あとは普通の子二人の6人でいつも一緒だった。

6人中私含め四人がちょっと未熟な感じだったのだ。そしてしっかり問題を抱えて成長した。
6人中四人ってなかなかの数字だけど、仲がよかったのは本当にたまたま近所に住んでいたからなのだ。
ちなみに指しゃぶりの⚪︎⚪︎さんは、このMTFの子だ。

みんな今何を考えて生きているのだろう。
MTFの子とはたまに会うのだけど、他の子はわからない。
私の中で三人は、いじめられていた弱かった頃の記憶で止まっている。

私はずっと、こうした幼い頃の記憶に負け続けてきた。
そうして、なんとなくみんなと違っておかしくて、不器用で、容量悪くて、未熟でダメ、という私が心の深いところに居続けた。

今は色々あって、そんなのに負けたくない、と、立ち上がるエネルギーがようやくほんの少し生まれてきたところ。

きっと、社会と馴染めない生き辛さを持つ人の多くはこういう記憶を持っていると思う。
なんとなく周りと違う。同じにできない。
子供の頃からだから、多分本質的にそういう人間なのだろう。

だからなんだ、という話なのだ。私が自分を嫌いだったのはこの記憶故の自己イメージによるところが大きい。自分は他人より劣っている、未熟なんだ、と思っていた。しかし、そんなものは社会の価値観でしかない。ある程度社会性を身につけたなら、もうどうでもいいのだ、こんなもの。本質的に、普通よりも何かが足りない、未成熟だろうと、もう気にしない。そんな動物じみた感覚は過去のものでしかない。
うまく言えないけど、過去なんて記憶にしかないし、存在はしないんだ、と考えている。

過去にとらわれるのはやめようと思うのだ。